為什么我會在看完布朗庫西的展覽大半年后,突然決定翻譯這篇萬字長文?對我來說,布朗庫西其實更像是上一代的“網紅藝術家”。他的金鳥和Q版接吻并不是什么“值得深思”的作品,而是僅僅是易懂舒適視覺體驗。
然而,在Artizon舉辦的展覽上,實際的參觀人數卻并不算多,大部分都是白人。這讓我有些意外,畢竟布朗庫西的名氣不該如此冷清。事實上,連我一開始也并未打算前往參觀,只是被展覽的題目《本質を象る》吸引,才抱著試試看的心態去看了。
然而,站在現場時,我卻不由得被他的一些純粹形式的作品,以及展廳中非日常的燈光氛圍所打動。至少是那一刻,我感覺這趟展覽不虛此行,甚至值得細細品味。
但半年過去了,我沒有在任何地方看到關于這個展覽的討論。他真的已經過氣了?還是本來就是我在歐洲看到的幻覺?或者,我對他的作品究竟是喜歡還是不喜歡?
最近整理房間時,我竟然發現自己買了那個展覽的明信片。對于我這個近幾年已經很少買明信片的人來說,這實在是少見。畢竟,面對各種舒適又好看的圖像泛濫成災的小空間——我的房間也不過只有四疊半,我早已對這些“紀念紙片”心生麻木了。
巧的是,最近YouTube還向我推薦了龜梨和也去巴塞爾Beyeler基金會參觀展覽的視頻。而布朗庫西的作品,竟然第一時間出現在鏡頭中,仿佛在提醒我他的存在。
這些奇怪的念頭不斷縈繞,讓我最終決定,把這篇tokyoartbeat的萬字采訪翻譯發布在Onedaystand上,附上25張展覽現場的照片。我希望借此機會,更好地理解這位藝術家,也更清楚地表達出我對他那復雜而矛盾的感受。
ブランクーシを読み解く7つのキーワードとは?アーティゾン美術館「ブランクーシ 本質を象(かたど)る」展學蕓員インタビュー
永田晶子
東京のアーティゾン美術館で「ブランクーシ 本質を象(かたど)る」展が3月30日~7月7日に開催。20世紀彫刻の先駆者コンスタンティン?ブランクーシと、その創作活動を日本の美術館で初めて包括的に紹介する本展について擔當學蕓員のインタビューをお屆け
現代彫刻の先駆者とされるルーマニア出身の彫刻家、コンスタンティン?ブランクーシ(1876~1957)。その創作活動の全體を日本の美術館で初めて紹介する展覧會「ブランクーシ 本質を象る」が東京?京橋のアーティゾン美術館で3月30日に開幕した。會期は7月7日まで。ブランクーシはルーマニア南西部の町ホビツァ生まれ。ブカレスト國立美術學校で學んだ後、1904年にパリに出て制作を行い、対象の本質を抽出する純粋なフォルムの探求を通じロダン以降の彫刻表現を大きく更新した。
本展は、ブランクーシ?エステートと國內外の美術館が所蔵する彼の彫刻23點と平面?寫真作品に加え、関連作家の作品の合計89點を展示し、その歩みを包括的に紹介する。開催に先立ち、本展の企畫を擔當したアーティゾン美術館の島本英明學蕓員に見どころやブランクーシの魅力について聞いた。まとまったかたちで作品を鑑賞できる貴重な機會となる本展。訪れる際はぜひ參考にしてほしい。
目次
國內外の彫刻作品23點が一堂に
近代彫刻へのアンチテーゼ?直彫りを追求
短期間に大きく転換した作風
《空間の鳥》に見える天上志向
注目したい「卵型」「臺座との関係」
鏡面仕上げで空間と新たな関係結ぶ
寫真、言葉への強いこだわり
米國での代理人務めたデュシャン
21世紀に息づく作品の魅力
解讀布朗庫西的7個關鍵詞:Artizon美術館「布朗庫西——塑造本質」展覽策展人專訪
被譽為現代雕塑先驅嘅羅馬尼亞出生雕塑家康斯坦丁·布朗庫西(1876~1957),佢嘅創作生涯喺日本美術館首次完整展現嘅展覽《布朗庫西 本質之形》喺東京京橋嘅Artizon美術館喺3月30日開幕,展覽會期到7月7日。
布朗庫西出生喺羅馬尼亞西南部小鎮霍比察,喺布加勒斯特國立美術學校學習之后,1904年移居巴黎開始創作,通過提煉對象嘅本質,以純粹嘅形態探索,喺羅丹之后大大革新咗雕塑表現方式。
呢次展覽匯集咗布朗庫西·莊園以及國內外美術館藏嘅23件雕塑作品、平面同攝影作品,加埋相關藝術家嘅作品,總共89件,全面介紹佢嘅創作歷程。
展覽開幕之前,我哋訪問咗負責策劃今次展覽嘅Artizon美術館策展人島本英明,了解呢次展覽嘅亮點同布朗庫西嘅魅力。能夠集中觀賞佢作品嘅機會非常難得,希望大家參觀時作為參考。
目錄
國內外23件雕塑作品齊集一堂
對現代雕塑嘅反命題?追求直刻技法
風格喺短時間內大幅轉變
《空間之鳥》中體現嘅向天之志
值得關注嘅「蛋形」同「臺座關系」
鏡面工藝與空間新關系
對攝影同語言嘅執著
曾任美國代理人嘅杜尚
21世紀依然活躍嘅作品魅力
國內外の彫刻作品23點が一堂に
──ブランクーシは非常に著名な彫刻家にも関わらず、日本の美術館での包括的な展覧會は今回が初めてとなります。これまで國內で開催できなかったのは理由があるのでしょうか?
島本英明(以下、島本):恐らく作品の集まりづらさが大きな理由だと思います。日本では、1982年に舊高輪美術館(現セゾン現代美術館)が「彫刻家のカメラ?アイ : ブランクーシ寫真展」を開催しましたが、これはブランクーシが撮影した寫真作品に特化した內容で彫刻が中心の展覧會ではありませんでした。
世界的に見ても、これまでにブランクーシの回顧的な展覧會は少なく、開きづらさがうかがえます。まとまった數の作品を所蔵しているのは、パリのポンピドゥー?センターとアメリカのフィラデルフィア美術館に限られているためでしょう。近年では、ニューヨーク近代美術館(MoMA)とソロモン?R?グッゲンハイム美術館が特集展示を行い、グッゲンハイムは10點前後の所蔵作品を展示して話題になりました。
また彼の彫刻は、繊細な木や石膏が使われたり、比較的扱いやすいブロンズもケアが必要な鏡面仕上げだったりと、全般的に作品輸送に美術館がセンシティブにならざるを得ないことも理由に挙げられるかもしれません。
今回は著作権管理団體のブランクーシ?エステートや國內外の美術館、個人コレクションのご協力が得られて、當館が所蔵する2點を含む計23點の彫刻作品をご覧いただけます。
國內外23件雕塑作品齊集一堂
──布朗庫西系非常著名嘅雕塑家,但今次竟然系日本美術館首次全面展覽,之前喺國內冇展出嘅原因系咩呢?
島本英明(以下簡稱島本):可能最大嘅原因系作品難以集中。日本曾喺1982年,由舊高輪美術館(現世宗現代美術館)舉辦過《雕塑家嘅攝影之眼:布朗庫西攝影展》,但呢個展覽系專注于佢拍攝嘅攝影作品,唔系以雕塑為主嘅展覽。
從全球睇,布朗庫西嘅回顧展亦唔多,系一個難以開展嘅展覽。集中收藏佢作品嘅機構主要系巴黎嘅蓬皮杜中心同美國費城美術館。近年,紐約現代美術館(MoMA)同所羅門·R·古根海姆美術館有做過專題展覽,古根海姆展出咗約10件藏品,成為熱點。
此外,佢嘅雕塑使用咗好纖細嘅木材同石膏,或者需要特別處理嘅鏡面青銅,都令美術館喺運輸作品時更加小心謹慎,可能亦系展覽難以舉辦嘅原因之一。
今次多得布朗庫西·莊園嘅版權管理機構,以及國內外美術館同私人收藏家嘅協助,連同本館收藏嘅兩件作品,共展出咗23件雕塑作品。
コンスタンティン?ブランクーシ 撮影:キャサリン?ドライヤー(1924) 石橋財団アーティゾン美術館
──國際的にも希少な展覧會になるわけですね。ブランクーシはどのような彫刻家で、20世紀美術においてどう位置づけられるのでしょうか?
島本:改めて考えると、不思議な立ち位置と相矛盾する部分を持つ作家ですね。結論から言いますと、ほかに並ぶ人をちょっと思いつかない、唯一無二というべき美術家だと思います。
たとえば、MoMA初代館長のアルフレッド?H?バーJr.が1936年に開催した「キュビスムと抽象美術」展に際し作成した有名なチャート図があります。モダンアートの様々な派や動向が示されていますが、その中に存命中の作家として唯ひとり、ブランクーシだけが単獨で名前が入っています。つまり、どこかの派に帰屬させがたい、異質な存在だったのでしょう。
──國際上都好少有類似嘅展覽。布朗庫西系點樣嘅雕塑家,喺20世紀藝術中占咗點樣嘅地位呢?
島本英明(以下簡稱島本):細心諗返,其實布朗庫西喺藝術史上有一種奇特嘅位置,佢身上有啲相矛盾嘅地方。直接講結論,我覺得佢系一位獨一無二、難以同其他人相比嘅藝術家。
舉個例,MoMA初代館長阿爾弗雷德·H·巴爾Jr.喺1936年舉辦嘅《立體主義與抽象藝術》展覽度畫咗一張著名嘅圖表,圖入面列出咗現代藝術唔同流派同趨勢。但喺當時仍然在世嘅藝術家入面,只有布朗庫西一個人單獨用名列出,冇歸屬于任何一個流派。這即系話,佢喺藝術發展中系一個異質嘅存在,難以歸類到某個派別。
アルフレッド?H?バーJr.監修 展覧會図録『キュビスムと抽象蕓術』(1936?ニューヨーク近代美術館) 26.0×19.6cm 石橋財団アーティゾン美術館
近代彫刻へのアンチテーゼ?直彫りを追求
島本:先ほど相矛盾する部分があると言いましたが、ブランクーシの創作のコアは木や石を直彫りする手仕事で、自分ひとりで作品を作り上げることに非常にこだわりました。いっぽう、彼が身を置いた近代彫刻の世界は、制作の分業化が進み、作家の原型を再現する下彫り工や型取り工は欠かせない存在でした。分業による大型モニュメント像を多數手がけ成功した代表格が、塑造による彫刻表現を行ったオーギュスト?ロダンです。
ブランクーシは、知人のルーマニア人にロダンを紹介され、1907年3月に彼のアトリエで下彫り工として働き始めますが、1か月ほどで辭去しました。具體的なタイミングはわかりませんが、その1907年に直彫りの実踐を始め、創作の中心にしていきます。それまでの塑造からスタイルを転換したんですね。ロダンに背を向けるように辭去した時期と、自身が新たな手法を始めた時期がほぼ同じなのは気になるところです。
當時、ロダンが推し進めた分業システムに反発して、アンチテーゼとして直彫りに取り組んだ若手はブランクーシだけではありませんでした。ただ、彼はパリに來る前にウィーンで家具職人の見習いとして働いた経験があり、木の扱いに慣れていました。手仕事からものづくりを始めたので、制度化された西洋の近代彫刻に染まらない部分があったのではないでしょうか。
──それはブランクーシがルーマニアという、西歐文化のいわば非中心的な國の出身だからでしょうか。
島本:それもあるかもしれません。ブランクーシはルーマニアで美術學校に通い彫刻を學びましたが、その前は小學校に行かずに樽職人の見習いをしています。なので、すでに確立された近代彫刻の制度や表現に染まらない、こだわらない部分があったと推察します。
とはいえ、1904年にパリに出て翌年に國立美術學校に入學し、アカデミスムの彫刻家アントナン?メルシエの教室で學んでいますから、教わることに価値を置かなかったわけでもないと思いますね。
2年後に國立美術學校を離れて、ロダンの許でごく短期間働いた後は、誰にも師事せず獨自の制作に取り組むようになります。
近代雕塑嘅反命題?追求直刻工藝
島本:我啱啱提到,布朗庫西有啲相矛盾嘅地方。佢創作嘅核心喺于用木頭或者石頭進行直刻,完全由自己一個人完成作品,對此佢非常執著。但同時,佢所處嘅現代雕塑界,分工制作系一個重要趨勢。喺呢種模式下,藝術家會依靠其他人,例如負責制作初稿嘅助手或者模具工,嚟完成雕塑。呢種分工模式嘅代表人物就系奧古斯特·羅丹,佢通過呢種方式創作咗大量成功嘅大型紀念碑雕塑。
布朗庫西喺1907年3月經朋友介紹,喺羅丹嘅工作室度做咗一個月左右嘅助手,負責初刻工序,但之后就離開咗。喺同年,佢開始實踐直刻技法,并將其發展成自己創作嘅核心。換句話講,佢喺呢個時期開始從之前嘅塑造風格轉向直刻。而辭職同佢開始直刻創作嘅時間幾乎重疊,呢一點相當值得玩味。
當時,羅丹提倡嘅分工制作體系引起咗唔少年輕雕塑家嘅反感,將直刻作為一種對抗嘅方式,但布朗庫西并唔系唯一一個。佢喺去巴黎之前,喺維也納做過家具工匠嘅學徒,熟悉木材嘅處理,呢種手工技能令佢喺創作上保持咗一份與現代雕塑體系唔同嘅獨立性。
──會唔會因為布朗庫西系羅馬尼亞呢個喺西歐文化上較非主流國家出身嘅原因呢?
島本:呢個可能系原因之一。布朗庫西喺羅馬尼亞讀過美術學校,學習過雕塑,但喺此之前,佢甚至冇上過小學,而系作為樽匠嘅學徒開始學藝。因此,佢喺創作上冇受到現代雕塑體系或者既定表達方式嘅局限。
不過,1904年佢去咗巴黎,翌年進入國立美術學校,喺阿卡德米主義雕塑家安東南·梅西耶嘅教室學習,由此可見佢并唔系完全排斥學習傳統技法。
喺兩年后,佢離開美術學校,之后喺羅丹嘅工作室只工作咗好短時間,之后就冇再拜師,而系全力投入到自己嘅獨立創作入面。
會場風景
短期間に大きく転換した作風
──當時ブランクーシに影響を與えた彫刻家はいますか?
島本:ひとり年長者を挙げるなら、イタリア人のメダルド?ロッソ。パリで活動したロッソは、明瞭にフォルムを決めずに人物の輪郭を素材の材質感に溶け込ませた、解釈の可能性を開くような彫刻を作りました。作品人物のポーズも眠りや病中といった休止狀態が多く、陰影を取り込んだ良い意味での曖昧な表現が効果を挙げています。ブランクーシは1906年に初めてサロン?ドートンヌに《プライド》を出品しますが、その年にロッソは審査員を務め、自ら出品もしました。ロダンほどではないにせよ、當時のパリで存在感があった作家です。
本展では、ブランクーシが受けたアカデミックな教育が反映された《プライド》と、ロッソの影響が伺える豊田市美術館所蔵の《眠る幼児》を展示しています。ともにブロンズ像ですが、ふたつを見比べると、短期間に主題や表現が変わったことを感じていただけると思います。
短時間內大幅轉變嘅風格
──喺當時,有冇對布朗庫西產生影響嘅雕塑家呢?
島本:如果要講一個年長嘅藝術家,我會提到意大利嘅梅達爾多·羅索。羅索喺巴黎活動,佢創作嘅雕塑唔系用清晰嘅形式去表現,而系將人物嘅輪廓同材料嘅質感融合,開拓咗更多解讀嘅可能性。佢作品中嘅人物經常處于休憩或者病中呢啲靜止狀態,用光影結合一種模糊但極具表現力嘅方式,產生咗好大嘅藝術效果。
布朗庫西喺1906年第一次喺秋季沙龍展覽上展出咗《驕傲》,而嗰一年羅索擔任咗評審員,并且親自參展。雖然冇羅丹咁大嘅名氣,但喺當時嘅巴黎,羅索都系一位有影響力嘅藝術家。
喺今次展覽中,觀眾可以睇到布朗庫西嘅《驕傲》,呢件作品反映咗佢接受嘅學院派教育,同時仲可以睇到受羅索影響嘅《沉睡嘅幼兒》,后者由豐田市美術館收藏。兩者都系青銅雕塑,但如果大家將兩件作品進行比較,就可以感受到布朗庫西喺短時間內喺主題同表達上嘅巨大轉變。
コンスタンティン?ブランクーシ スタンディング?ボーイ 1913頃 テンペラ?紙 57.9×33.7cm メナード美術館
《空間の鳥》に見える天上志向
──本展は7つのキーワードに基づく構成です。どのような狙いがあるのでしょうか。島本:展覧會の構成は、ブランクーシの創作を時系列に區分して紹介する方法は避けたいと思いました。なぜなら、彼は早い段階から制作に首尾一貫性があると思うからです。一例を挙げると、彼の「シリーズ」の概念は、一般的な同一主題をほぼ同時期に続けて制作するものと異なります。
ブランクーシの場合、同じ主題に少し間を置いてまた手を付け、その度に決定的に違う作品ができます。そのようにシリーズの2番目、3番目までいく作品がたくさんあり、彼の特徴のひとつです。
本展では、そうした主題は狹く構え奧行きを作っていくようなブランクーシの仕方に倣って、彼の本質を読み解く7つの「キーワード」を會場に掲げました。「形成期」「直彫り」「フォルム」「交流」「アトリエ」「カメラ」「鳥」です。
展示內容を簡単に説明しますと、まず「形成期」は《プライド》《眠る幼児》などの初期の作品を紹介し、次に彼が生涯こだわった直彫りの技法に焦點を當てます。
ブランクーシらしいシンプルで洗練されたかたちは、早くも1907年から1914年にかけて固まっていきますが、「フォルム」はこの時期の作品が中心となります。
「交流」ではブランクーシが親交を持った美術家やその作品を紹介し、彼が1916年に入居して57年に死去するまで拠點にしたロンサン小路のアトリエも取り上げます。このアトリエは、生前の遺言で置かれた作品とともにフランス國家に寄贈され、現在はポンピドゥー?センター前の広場の建物內に復元されています。
「カメラ」の展示空間では、ブランクーシが自らアトリエや作品を撮影した寫真と映像を展示し、ラストの「鳥」は代表作《空間の鳥》を中心に抽象化の過程や超越的な天上志向を考察します。
會場風景より、コンスタンティン?ブランクーシ《空間の鳥》(1926/1982鋳造、ブロンズ、大理石[円筒形臺座]、石灰巖[十字形臺座]、132.4×35.5×35.5cm、橫浜美術館)
《空間之鳥》中體現嘅超越性志向
──本次展覽根據7個關鍵詞進行構成,背后有乜嘢考量呢?
島本:喺展覽設計上,我哋避免用時間軸嘅方式去介紹布朗庫西嘅創作。因為喺佢創作生涯嘅早期,就已經表現出咗一貫性。例如,佢對“系列”嘅理解同一般意義唔一樣。
通常,藝術家喺短時間內圍繞同一個主題連續創作,但布朗庫西會隔一段時間再重新處理同一主題,而每一次創作出來嘅作品都會有決定性嘅變化。所以,佢嘅作品中,有好多個系列發展到第二、第三件嘅作品,呢種獨特性系佢嘅特點之一。
喺展覽中,我哋根據布朗庫西嘅創作特點,提出咗7個關鍵詞,分別系:「形成期」、「直刻」、「形式」、「交流」、「工作室」、「攝影」、「鳥」。呢啲關鍵詞幫助觀眾深入理解佢創作嘅本質。
展覽內容概括嚟講,「形成期」會展出例如《驕傲》、《沉睡嘅幼兒》呢啲早期作品;「直刻」部分會聚焦于佢終身堅持嘅直刻技術;「形式」則集中展示1907年至1914年間發展出嘅簡單而洗練嘅作品。
「交流」部分展示布朗庫西與其他藝術家嘅交往,以及佢1916年入住至去世嘅羅桑小路工作室。呢間工作室喺佢生前根據遺囑連同作品一齊贈送畀法國國家,現喺喺蓬皮杜中心前面嘅一座建筑物內復原咗。
「攝影」展區則展出布朗庫西親自拍攝嘅工作室及作品相片同影片。「鳥」部分以代表作《空間之鳥》為中心,探討佢作品中嘅抽象化過程同向天上志向嘅超越性表現。
コンスタンティン?ブランクーシ 鳥 1930 フレスコ 29.0×47.0cm ブランクーシ?エステート
注目したい「卵型」「臺座との関係」
──多面的にブランクーシを知ることができそうです。初期から晩期まで様々なフォルムや素材の作品が紹介されますが、注目すべきポイントはありますか。
島本:広い意味の主題と言える「卵形」でしょうか。ブランクーシにとって、卵型は生命の根源を意味しました。彼は人間の頭部を手掛かりに理想的なかたちを追求し、本展ではそのバリエーションと言える作品が比較的多く揃っています。
──卵型で真っ先に思い浮かぶ作品は《眠れるミューズ》です。今回、大阪中之島美術館所蔵の石膏による《眠れるミューズ》(5月12日まで展示)と鏡面仕上げのブロンズ像《眠れるミューズⅡ》のふたつのヴァージョンを見ることができます。初期の《眠る幼児》やブランクーシ?エステート所蔵の《頭部》《ミューズ》など卵型のフォルムが幾つもあり、作家の一貫した関心を感じます。
島本:卵型の源流とも言える《眠る幼児》は貴重な作品です。モデルは1歳の幼い子供で、橫たわる頭部の右側の頬を平らにしているので、寢かせて展示できるんですね。當時の通念として彫像は垂直的なものと考えられ、そのために臺座が必要でした。でも本作は臺座なしにそのまま置いて鑑賞できます。ブランクーシが行った臺座と彫刻の関係性の更新は、20世紀美術において革新的でした。臺座を必要としない作品は、當館が所蔵する《接吻》もそうです。
その志向はロダンから引き継いだ部分かもしれません。ロダンは群像彫刻《カレーの市民》を高い臺座の上ではなく地面に設置することにこだわり、論爭を巻き起こしました。鑑賞者のレベルに作品を置いて、モニュメントの概念を揺さぶろうとしたんですね。
コンスタンティン?ブランクーシ 眠れるミューズ 1910-1911頃 石膏 19.0×28.0×19.5cm 大阪中之島美術館(5月12日まで展示)
──人體をモチーフにした作品も、《若い女のトルソ》《若い男のトルソ》、アーティゾン美術館が所蔵する《ポガニー嬢Ⅱ》など異なるバリエーションを見ることができます。《若い男のトルソ》は、胴部と足の上部を円筒形に還元していますし、《ポガニー嬢Ⅱ》はモデルの特徴だったのでしょうか、顔と同化した大きな目と流れる髪が印象的です。
島本:ブランクーシは、人體のように伝統的主題にも取り組み、その抽象化を進めました。ロダンが斷片を組み合わせて制作した《歩く人》は、彼が不要だと考えたので腕部がありません。歩く本質を表現するために必要でないものは取り去ってしまうロダンの考え方自體は、ブランクーシと通じるものを感じます。ブランクーシはすぐにロダンの許を去りますが、まったく考えが合わなかったわけではなく、意識していたかは分かりませんが、受け継いだ部分もあったのではないでしょうか。
コンスタンティン?ブランクーシ ポガニー嬢Ⅱ 1925 (2006鋳造) 磨かれたブロンズ 高さ44.8cm 石橋財団アーティゾン美術館
值得關注嘅「卵型」同「臺座關系」
──睇嚟可以從多角度認識布朗庫西喇!展覽涵蓋咗從早期到晚期多種形式同材質嘅作品,入面有啲特別值得留意嘅點嗎?
島本:應該系廣義上講可以稱為「卵型」嘅主題喇。對布朗庫西嚟講,卵型象征住生命嘅根源。佢以人類頭部為起點,追求理想嘅形態,而今次展覽中包含咗唔少可以睇作卵型變化嘅作品。
──講到卵型,最容易聯想到嘅作品就系《沉睡嘅繆斯》。今次展覽中,可以睇到大阪中之島美術館收藏嘅石膏作品《沉睡嘅繆斯》(展出至5月12日),同埋鏡面拋光嘅青銅雕塑《沉睡嘅繆斯II》。另外仲有初期嘅《沉睡嘅幼兒》同布朗庫西遺產管理機構收藏嘅《頭部》《繆斯》等多個卵型形式嘅作品,能夠感受到布朗庫西一貫嘅關注點。
島本:被視為卵型源流嘅《沉睡嘅幼兒》系一件珍貴嘅作品,模特系一個一歲大嘅細路仔。呢個作品里,橫臥頭部右邊面頰系平嘅,所以可以直接橫放嚟展示。當時普遍認為雕塑一定系垂直立嘅,所以通常需要臺座。但呢件作品唔需要臺座,可以直接展示畀人欣賞。布朗庫西重新定義咗雕塑同臺座之間嘅關系,而呢個變革喺20世紀美術史上具有創新意義。當館收藏嘅《接吻》同樣系唔需要臺座嘅作品。
呢種理念可能系布朗庫西從羅丹度繼承嚟嘅。羅丹喺群像雕塑《加萊義民》中堅持將雕像放喺地面,而唔系擺喺高高嘅臺座上,為此仲引發咗唔少爭議。羅丹希望將作品同觀眾置喺同一高度,顛覆傳統紀念碑嘅概念。
──展覽中仲有以人體為主題嘅作品,例如《年輕女人嘅軀干》《年輕男人嘅軀干》,以及由藝藏美術館收藏嘅《波加尼小姐II》,都展現咗唔同嘅變化。《年輕男人嘅軀干》將軀干同大腿上部還原成圓柱形,而《波加尼小姐II》則以夸張嘅大眼同流線型頭發為特點,令人印象深刻。
島本:布朗庫西亦曾處理人體呢種傳統主題,并推動咗抽象化。例如羅丹嘅《行走者》,系用斷裂嘅身體部件組合而成,因為佢認為唔需要手臂都可以表達行走嘅本質。羅丹將冗余部分剔除嘅創作理念同布朗庫西有共通之處。
雖然布朗庫西好快就離開咗羅丹嘅工作室,但唔代表佢哋完全理念唔合。我哋唔知布朗庫西系咪有意去承襲羅丹嘅思想,但可以推測部分觀念系有延續性嘅。
オーギュスト?ロダン カミーユ?クローデル 1889年 ブロンズ 高さ24.5cm 石橋財団アーティゾン美術館
──ブランクーシが1920年のサロン?デ?ザンデパンダンに出品して物議を醸した《王妃X》も見られます。ずばり男根ふうの形狀は、非常にインパクトがあり驚きました。フォルムもタイトルも挑発的に思える作品ですが、どのような狙いで制作したのでしょうか。
島本:本作は、1909年に制作した《鏡をみる女》という女性像を起點として、「女性的なるもの」の抽象化を探求していった終著點的な作品です。フォルムは恐らく彼自身の嗜好というよりも、歴史に殘る同祖神的なかたちを參照したように思われます。上田さん(共に本展を擔當したアーティゾン美術館學蕓員)はどう思いますか?
上田杏菜:本展には、ブランクーシが撮影した《王妃X》の寫真が出品されますが、それには天窓からの光を受けた作品の影が壁に映っています。その影を見ると、いわゆる女性らしい曲線的なシルエットが確認できます。寫真を見る限り、ブランクーシは作品の影まで計算して制作したのかもしれません。
──布朗庫西喺1920年參加獨立沙龍展覽時展出嘅《王妃X》引起咗極大爭議。作品嘅形狀酷似男性生殖器,非常具有沖擊力,真系令人驚訝。咁樣挑釁嘅造型同標題,佢嘅創作意圖究竟系點樣嘅?
島本英明:呢件作品可以追溯到1909年創作嘅《鏡中女子》。從呢個女性雕像出發,布朗庫西一直喺探索“女性性”嘅抽象化,而《王妃X》可以話系呢個主題嘅最終成果。其形式似乎并非單純出于藝術家個人嘅偏好,而系參考咗具有原始意義嘅同祖神形象。對于呢一點,上田小姐(同為本展負責策展嘅藝藏美術館學藝員)你點睇呢?
上田杏菜:展覽中都有展示布朗庫西拍攝嘅《王妃X》照片。照片入面,作品通過天窗嘅光線喺墻上投下咗影子。從影子可以睇到,作品具有明顯嘅女性化曲線。由此推測,布朗庫西或者連作品嘅影子效果都經過精心設計嘅。
コンスタンティン?ブランクーシ 洗練された若い女性(ナンシー?キュナールの肖像) 1928-32(2013鋳造) 磨かれたブロンズ 54.9×14.9×21.9 cm ブランクーシ?エステート
鏡面仕上げで空間と新たな関係結ぶ
──素材について伺わせてください。ブランクーシはブロンズ、大理石、木、石膏など様々な素材を扱いましたが、《眠れるミューズ》のように同一主題を異なる素材で制作したケースが多いようです。どのように使い分けたのでしょうか。
島本:職人的とも言える鋭い感覚で各素材の性質を熟知し、意識的に使い分けていたと思います。一例を挙げますと、當館所蔵の《接吻》は、ブランクーシが1907年に制作した石の直彫り作品をもとに石膏で作られました。最初の作品は、砂巖質の、石膏にも通じるテクスチャーの白い石が使われています。1914年に再び石膏ヴァージョンを制作していますから、気に入ったテーマだと思われますが、それを硬質な大理石や鏡面ブロンズでは作らないわけです。
コンスタンティン?ブランクーシ 接吻 1907-10 石膏 高さ28.0cm 石橋財団アーティゾン美術館
──たしかに、ふたりが抱きあう姿をプリミティブな造形で表現した《接吻》がキラキラと光っていたら違和感がありそうです。
島本:表面を研磨したブロンズ作品は、1910年の《眠れるミューズ》が最も早い作例だと考えられます。そのときは、2點制作してもう片方に伝統的な彩色を施し、自分の作品のイメージに合う効果は光る仕上げとマットな彩色のどちらが良いかの見極めを行ったようです。その後、ブロンズ作品は基本的に磨くようになります。ブランクーシは木でも多數制作し、本展で紹介している磨きブロンズの《雄鶏》は、木や大理石、石膏のヴァージョンもあります。
──《雄鶏》は、鶏冠のようにギザギザの三角型フォルムに太い腳が付いて、ユーモアも感じます。
島本:概してブランクーシが木を用いた作品は、リラックスしたり、遊び心があったりする主題が多いようです。木は扱いやすい素材なので、実験的な試みがしやすかったこともあるでしょう。《空間の鳥》《魚》のような、よりシリアスな主題に関してはブロンズや大理石を用いたという指摘があります。
透過鏡面拋光,與空間建立全新關系
──關于材料使用嘅問題,布朗庫西成日以唔同材料創作相同主題,例如《沉睡的繆斯》。請問佢系點樣選擇同使用呢啲材料嘅?
島本:布朗庫西對各種材料嘅特性咁熟悉,用接近工匠級別嘅敏銳感知進行選擇。舉例,例如當館收藏嘅《接吻》,最初系1907年用白色砂巖直接雕刻而成,呢種石材嘅質感類似于石膏。隨后,佢用石膏再次制作咗呢個主題嘅作品。可以睇到,佢對呢個主題非常感興趣,但卻并冇嘗試用硬質大理石或者鏡面青銅嚟表現佢。
──確實,如果《接吻》采用鏡面拋光效果,可能會令人感到違和。
島本:布朗庫西最早嘅鏡面拋光作品可能系1910年嘅《沉睡的繆斯》。佢制作咗兩件,其中一件進行咗傳統彩繪,而另一件則采用咗鏡面拋光。可以睇到,佢當時嘗試比較兩種工藝效果,最終偏向于鏡面效果。從此以后,布朗庫西嘅青銅作品幾乎都采用咗鏡面拋光。
例如《雄雞》,除咗展出嘅青銅版本外,還有木質、大理石同石膏版本。
──《雄雞》嘅設計具有一定幽默感,帶住如雞冠般嘅鋸齒形狀同粗壯嘅雙腿。
島本:總體嚟講,布朗庫西用木材創作嘅作品,通常帶有一種輕松或者玩味嘅主題。木材易于加工,使佢能夠更加自由咁進行實驗性創作。而像《空中的鳥》或者《魚》呢類較為嚴肅嘅主題,佢則傾向于用青銅或者大理石等堅固材料嚟表現。
コンスタンティン?ブランクーシ 雄鶏 1924(1972鋳造) ブロンズ 92.4×10.5×45.0cm 豊田市美術館
──表面を磨き上げた鏡面仕上げはブランクーシの特徴的な技法ですが、ほかの作家も行っていたのでしょうか?
島本:少し遅れてオシップ?ザツキンらが試みています。ただ、私が確認した限りですが、彫刻の歴史を見渡しても先行や同時代の例はみられず、彼が獨自に編み出したと言えるでしょう。
──鏡面仕上げにブランクーシはどのような効果や空間との関係性を期待していたのでしょうか?
島本:たとえば、ここに人物の頭部彫刻があれば、私たちはつい輪郭や目鼻立ちに注意が向いて誰の顔かなどと考えがちです。でも表面が鏡面なら、輪郭も目鼻も光って全體に溶け込むように不明瞭になり、作品を見る私たちはそこに映り込む自分の顔や周囲が見えるだけです。ある意味、「見ること」自體が無効化されるのですね。鏡面仕上げは、彫刻表面の具體性を拭い去ることで、作品や主題を超越的な次元へ持っていき、空間とも新たな関係を結ぶための処置だったのではないかと思います。
コンスタンティン?ブランクーシ 魚 1924-26(1992鋳造) 磨かれたブロンズ 13.5×42.0×3.0cm ブランクーシ?エステート
──鏡面拋光系布朗庫西嘅標志性技法,呢種技術喺其他藝術家中都有應用嗎?
島本:稍晚啲,俄裔雕塑家扎金等人都嘗試過類似技法。但據我所知,喺布朗庫西之前嘅雕塑歷史中并冇類似案例,因此可以認為系佢獨創嘅技法。
──布朗庫西點解咁鐘意鏡面拋光?佢同作品嘅空間關系有咩影響?
島本:假如有一件普通嘅人物頭部雕塑,人哋嘅目光通常會集中喺五官細節上,試圖辨認呢個人系邊個。而當雕塑表面采用鏡面拋光時,輪廓同五官都因光線反射而變得模糊不清,觀眾睇到嘅反而系自己嘅影像同周圍環境嘅倒影。喺某種意義上,呢種處理方式“無效化”咗具體嘅視覺信息,將作品提升到一個超越現實嘅層次,同時與空間建立起新嘅互動關系。
──これまで挙がった作品以外で島本さんがとくに注目している作品を教えてください。
島本:なかなかひとつに絞り難いのですが、1907年に制作したアート?インスティテュート?オブ?シカゴ所蔵の《苦しみ》は興味深い作品です。同じブロンズ像で2年前の《プライド》と比較すると、より滑らかな表面の効果を追ういっぽう、子供の顔立ちは曖昧に見えます。この時期にブランクーシが具體的な形態表現から素材の特性に即した表面の仕上げの重視に転換したことが伺えます。
── 除咗頭先提到嘅作品之外,可唔可以講下島本先生特別留意嘅作品?
島本:好難只揀一件,不過,1907年創作、而家收藏喺芝加哥藝術學院嘅《苦難》系一件好有趣嘅作品。同樣系青銅雕像,拎嚟同兩年前嘅《驕傲》比較,可以見到《苦難》更加追求表面嘅順滑效果,而小朋友嘅面部輪廓就顯得模糊啲。從呢件作品可以睇出,布朗庫西喺呢個時期由具體形態嘅表達,開始轉向更加重視依照材料特性去處理表面質感嘅轉變。
コンスタンティン?ブランクーシ 苦しみ 1907 ブロンズ 29.2×28.8×22.3cm アート?インスティテュート?オブ?シカゴ Photo Image:Art Resource,NY
寫真、言葉への強いこだわり
──展覧會のキーワードである「アトリエ」「寫真」について、もう少し詳しく教えてください。ブランクーシが撮影した自身のアトリエの寫真を見ると、広い空間に作品が並んでまるでギャラリーのようです。
島本:住居を兼ねたアトリエは約175㎡の広さがあり、うち約105㎡を完成した作品の展示室にしていました。ブランクーシは同時代の畫商を中心とするマーケット(市場)の仕組みに乗らず、彼の生前はパリで作品を見たければアトリエに行くしかありませんでした。キャサリン?ドライヤーやペギー?グッゲンハイムといった錚々たるコレクターも彼の許を訪れて作品を購入しています。
當時マーケットはかなり成熟し、作家の居住地を離れて作品が評価される事例が増えていました。しかし創作と展示が地続きのブランクーシの場合、訪問者は彼が「主」として君臨する空間を目にすることになります。その結果、作家と作品が相互に作用し合い、神秘性が醸成された面もあるようです。訪れた人が、アトリエを「神殿」に譬えた証言も殘されています。
ブランクーシが生前開催した個展は7回だけで、ブカレスト(ルーマニア)の1回を除けばすべてアメリカで行われました。個展の意義は、専ら遠隔地で作品を見せることにあったようです。
寫真、語言的執念
──關于展覽關鍵詞“工作室”和“攝影”,可以詳細講講嗎?布朗庫西拍攝自己工作室嘅照片入面,見到寬敞嘅空間同排得整整齊齊嘅作品,完全似一個畫廊咁。
島本:布朗庫西居住兼創作嘅工作室面積大約有175㎡,其中105㎡專門用嚟展示完成嘅作品。佢冇依賴同時代畫商為核心嘅市場機制,佢生前喺巴黎睇佢作品嘅唯一方法就系親自去佢工作室。好多頂級收藏家,例如凱瑟琳·德萊爾同佩姬·古根海姆,都系直接去到佢工作室購買作品嘅。
嗰時藝術市場發展得好成熟,作家喺佢居住地以外被認可嘅情況越來越多。但布朗庫西作品創作同展示一體化,訪客到佢嘅工作室,唔單止見到作品,更見到佢作為“主人”統治呢個空間嘅一面。咁樣嘅體驗令藝術家同作品之間形成互動關系,同時塑造咗神秘感。曾經有訪客將佢嘅工作室形容為“圣殿”。
布朗庫西生前只舉辦過7次個展,其中除咗一次喺羅馬尼亞布加勒斯特舉辦,其他全部都喺美國舉行。佢舉辦個展似乎主要系為咗喺遠離巴黎嘅地方展示作品。
コンスタンティン?ブランクーシ《アトリエの眺め、「無限柱」、「ポガニー嬢Ⅱ」》 1925 ゼラチンシルバープリント 東京都寫真美術館
──ブランクーシはいつ、どのような理由で寫真を始めたのですか?
島本:カメラはルーマニア時代から手にしていましたが、本格的に撮影を始めたのは1914年。アルフレッド?スティーグリッツが主宰するニューヨークの291ギャラリーで個展を開催した際に、著名な寫真家のスティーグリッツが撮影した寫真が気に入らず自作品を撮り始めたと言われます。
指南役だったマン?レイの証言によると、彼はスティーグリッツによる大理石彫刻の寫真を見せて「寫真としては美しい、だがこれは自分の作品を再現してはいない」と言ったそうです。
會場には、ブランクーシが撮影した53點の寫真作品も展示しました。鏡面仕上げの彫刻作品に光を集めたり、自然光の下で撮ったり、露光効果が爆発して光が拡散している表情をとらえたり。様々な試みを通して、自分の作品の佇まいの変化を確認していたのだと思います。
──布朗庫西系幾時同點解開始攝影嘅?
島本:布朗庫西喺羅馬尼亞時期已經接觸過相機,但真正開始認真攝影系1914年。當時,佢喺紐約阿爾弗雷德·斯蒂格里茨主持嘅291畫廊舉行咗個展,但佢對斯蒂格里茨拍嘅作品照片唔滿意,于是決定自己動手拍攝。
根據指導過佢嘅曼·雷回憶,布朗庫西睇到斯蒂格里茨拍嘅大理石雕像照片后講過:“作為照片,呢張系靚嘅,但佢并冇還原我嘅作品。”呢件事令佢決心自己拍攝作品。
展覽中展示咗53幅布朗庫西拍攝嘅照片。佢用光影變化展示咗作品多樣嘅姿態:例如集中光線喺鏡面拋光雕塑上、自然光下嘅拍攝效果、甚至使用咗曝光延長令光線散射爆發等方式。通過呢啲嘗試,佢可能系希望驗證自己作品喺唔同環境入面嘅形態變化。
會場風景
──ブランクーシは、創作に関する様々なアフォリズム(箴言)も知られています。たとえば「単純さとは、解決の與えられた複雑さのことである」は、私のような記者にも響く含蓄に富む言葉ですが、発表を意識していたのでしょうか。
島本:ブランクーシのアフォリズムは、アトリエを訪問した人々による記事や回顧談にしばしば登場し、自分が書いたノートのようなものも殘されていたようです。創作に関する言葉を発表する重要性は意識していたようで、ブランクーシを特集した1925年の「ディス?クォーター」誌は、アフォリズムをまとめたページが組まれ、作品寫真は彼が撮影したものが使われています。多分自分の創作がより完全な形で社會に伝わり、理解されることを望んだのではないでしょうか。そのための材料として自作の寫真やアフォリズムを提示したのだと思います。自分のカリスマ性を高める意味合いもあったのかもしれません。
──布朗庫西同樣以創作相關嘅箴言著稱,例如“簡單系復雜嘅問題獲得解決之后嘅狀態”,對記者如我都有深刻啟發。佢系有意公開呢啲言論嗎?
島本:布朗庫西嘅箴言時常出現在訪客撰寫嘅文章或者回憶錄中,而佢自己好似都有記錄創作思考嘅筆記。佢似乎意識到將創作理念以語言形式公開嘅重要性。1925年特刊《This Quarter》專門聚焦布朗庫西,收錄咗佢嘅箴言,并且搭配咗佢親自拍攝嘅作品照片。
我估計,布朗庫西系希望自己嘅創作能夠以更完整嘅方式傳達畀社會,令公眾更加理解佢嘅作品。而呢啲照片同箴言,就系呢個目的嘅工具,同時亦有助于提升佢作為藝術家嘅個人魅力。
マルセル?デュシャン マルセル?デュシャンあるいはローズ?セラヴィの、または、による(トランクの箱)シリーズB 1952?1946(鉛筆素描) 68點のミニチュア版レプリカ、鉛筆による素描、革製トランク 石橋財団アーティゾン美術館 ? Association Marcel Duchamp / ADAGP, Paris & JASPAR, Tokyo, 2024 C4591
米國での代理人務めたデュシャン
──セルフプロデュースの意識は現代的ですね。會場では、交流した美術家たちの作品も紹介しています。
島本:ブランクーシは多くの前衛的な蕓術家と交流があり、関係性のレベルは様々でした。今回ご紹介する関連作品は、すべて當館の所蔵品から選びました。
イタリア出身でブランクーシの2年後にパリに來たアメデオ?モディリアーニとは卵型の頭部のフォルムに対する関心を共有しました。本展は絵畫作品を紹介しますが、モディリアーニはブランクーシの勧めで直彫りの頭像制作に熱中した時期がありました。
マルセル?デュシャンとは、まだ彼が絵畫を描いていた1910年前後に知り合いました。デュシャンは1915年に渡米し、その後はパリと往復しながらアメリカで人脈を広げていきますが、面白いのは知人にブランクーシの作品を斡旋しているんですね。コレクターを紹介したり、関わる展覧會に彼の出品をプッシュしたり。その極め付けが1926年と1933年にニューヨークのブラマー畫廊で開催されたブランクーシ展で、デュシャンが自ら空間構成を手がけ、展示作業に當たりました。
エージェント(代理人)、キュレーター的なかたちでデュシャンはブランクーシに関わり、関係は生涯続きました。ご存じのようにデュシャンは自身の絵畫制作を放棄しますが、他者の作品のキュレーションを創作のいわば代替物とみなし、意欲的に取り組んだのではないかと思います。本展ではその一例として、デュシャンが自作品のミニチュアの複製品や寫真をカバンの中に詰めた《トランクの箱》シリーズの1點を展示しています。
ニューヨークでの個展に衝撃を受けたイサム?ノグチはパリに留學した1927年、ブランクーシの許で數カ月間アシスタントを務めました。ノグチは、表現に素材を従わせるのではなく、素材に表現を従わせることをブランクーシから學んだという趣旨を後に語っています。
ブランクーシは、現代彫刻に大きな影響を及ぼしました。本展で作品は紹介していませんが、DIC川村記念美術館で個展が開催中のミニマル?アートを代表するカール?アンドレは、影響を受けた美術家として真っ先にブランクーシの名を挙げ、ほかにもリチャード?セラやロバート?モリスら多くの現代作家が影響を認めています。
擔任布朗庫西米國代理人嘅杜尚
──布朗庫西呢種自我推廣嘅意識好現代化。展廳中仲有介紹佢同其他藝術家交流嘅相關作品。
島本:布朗庫西同好多先鋒藝術家都有交流,關系深淺唔一。本次展覽中展示嘅相關作品全部都系美術館館藏嘅精選品。
例如,布朗庫西同意大利畫家阿梅迪奧·莫迪里亞尼有共通點,兩人都對蛋形頭部嘅造型好感興趣。展覽中展示咗莫迪里亞尼嘅繪畫作品,但其實,莫迪里亞尼喺布朗庫西嘅建議下曾熱衷于直接雕刻頭部雕像。
至于馬塞爾·杜尚,佢哋喺1910年前后認識,當時杜尚仲系畫家。1915年,杜尚移居美國,此后頻繁往返巴黎同美國,喺美國建立起自己嘅人脈網。特別有趣嘅系,杜尚主動推介布朗庫西嘅作品,佢曾為布朗庫西介紹收藏家,亦為佢爭取參展機會。杜尚同布朗庫西嘅合作巔峰系1926年同1933年,喺紐約布拉莫畫廊舉辦嘅兩場布朗庫西個展,杜尚負責策展,甚至親自參與布展工作。
杜尚喺某種程度上充當咗布朗庫西嘅代理人同策展人,兩人嘅關系持續咗一生。大家知道,杜尚后來放棄咗畫畫,但佢視策展他人作品為自己創作嘅某種替代品,并以積極態度投入其中。展覽中亦展示咗杜尚《手提箱中的盒子》系列其中一件,入面裝滿咗佢自己作品嘅迷你復制品同照片。
曾被布朗庫西喺紐約個展深深震撼嘅雕塑家野口勇,于1927年去到巴黎短暫拜師布朗庫西,并擔任咗幾個月嘅助手。野口勇后來講,布朗庫西教佢嘅最大啟發系“唔系用材料去配合表達,而系用表達去服從材料嘅特性”。
布朗庫西對現代雕塑產生咗重大影響。雖然本次展覽冇展出佢嘅作品,但而家喺DIC川村紀念美術館舉辦個展嘅極簡藝術代表人物卡爾·安德烈,就曾經將布朗庫西列為對佢影響最大嘅藝術家之一。除此之外,理查德·塞拉同羅伯特·莫里斯等多位現代藝術家都承認受到布朗庫西嘅啟發。
作為極簡主義雕塑嘅先驅,卡爾·安德烈喺2024年1月25日88歲時離世。而從3月9日起,DIC川村紀念美術館將繼續舉辦佢嘅回顧展,展現佢喺1960年代后期喺美國為中心興起嘅極簡藝術領域中所取得嘅成就。
(雷切爾插嘴:呢個展真系好Q好睇,作品仲可以踩上去。值得無雷公甘遠過去,而且呢個美術館最近要永久關閉了,在收集再開的簽名……)
21世紀に息づく作品の魅力
──パリのポンピドゥー?センターでも、本展と同時期の3月27日から1995年以來となるブランクーシ展が開催されています(7月1日まで)。21世紀の現在、ブランクーシの彫刻作品の最大の魅力はどのような點にあると思われますか?
島本:普遍性ではないでしょうか。対象の本質を抉り出すフォルムや外観はもちろんですが、タイトルによる喚起力も相まって作品としてシンプルに強さがある。
主題に対する作家のイメージと一般的な概念のバランスが絶妙で、両者の結節點としてタイトルがある気がします。ブランクーシは客観的に自身の創作を見つめた作家で、憶測ですけれども、タイトルにより作品がどう見えるかについても強い意識があったのではないでしょうか。
また、職人的な手仕事に対する強いこだわりを持ちつつアーティストとしての意識は高かった。その結果、內容と形式の両面で高い完成度と普遍性が作品に備わっているのだと思います。
21世紀仍然鮮活嘅作品魅力
──巴黎蓬皮杜中心喺3月27日至7月1日期間,同時舉辦咗自1995年以來嘅首次布朗庫西大展。喺21世紀今日,布朗庫西嘅雕塑作品最大嘅魅力喺邊度?
島本:應該系其“普遍性”。布朗庫西嘅作品通過雕塑嘅形態同外觀,將對象嘅本質深深挖掘出來,同時,標題嘅引發性亦為作品增添咗簡潔而有力嘅特質。
我認為,布朗庫西作品中,藝術家對主題嘅個體想象同大眾普遍概念之間達到咗一種巧妙平衡,而標題正好喺兩者之間起到連接作用。佢系一位能夠客觀審視自己創作嘅藝術家。我推測,佢對標題如何影響作品嘅觀感應該有深刻嘅考慮。
另外,布朗庫西喺創作中對手工技藝嘅堅持亦值得一提,佢表現出極高嘅工匠精神,同時具備強烈嘅藝術家自覺。因此,佢嘅作品喺內容同形式兩方面都達到咗高度嘅完成度同普遍性。呢種特點令其作品喺21世紀依然充滿吸引力,仲繼續影響住現代藝術嘅發展。
如果需要進一步潤色,隨時講聲!
翻譯完啦,其實我去睇左呢個展覽,呢個藝術家明明好出名,但展覽系日本反響一半,感覺佢已經過氣?你覺得系點解?
ChatGPT:
布朗庫西的確是現代雕塑的開創者之一,但你觀察到佢喺日本展覽反響一般,可能與以下幾方面有關:
時代變化布朗庫西的極簡美學對20世紀早期的藝術潮流產生了深遠影響,但現時觀眾可能更關注當代藝術形式,如數字藝術、裝置藝術等,佢嘅作品未必對現代觀眾形成強烈共鳴。
文化與藝術語境日本藝術界對極簡主義其實有一定接受度(如侘寂美學),但布朗庫西的作品源于西方哲學與抽象觀念,可能與日本觀眾文化背景之間未能完全契合。
展覽策略展覽的策劃、宣傳與教育亦會影響觀眾反應。如果策展內容未能清晰傳達布朗庫西對現代藝術的歷史性貢獻,或者未提供新視角,觀眾可能覺得欠缺吸引力。
藝術的普遍性與過時感雖然布朗庫西的作品在形式上具普遍性,但「普遍性」本身有時會被誤解為「平淡」或「陳舊」,特別是對未深入了解其藝術背景的觀眾而言。
你認為展覽有冇提供足夠資料或者策展亮點可以加深大家對佢藝術嘅興趣呢?
あなた:
我反而之前覺得佢好普通,就同而家爛大街的城市雕塑一樣無聊。但在現場特別是一個燈光好特別嘅展廳,據說是還原了當時他工作室的日光,我覺得非常有感覺。
下面就喺22張場內+3張場外照片的扶貧付費喇。
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